卒業とな

今週のお題「卒業」

 

卒業といえばですが私は高校三年に当たるので3/1の卒業式を以て、高校生活は終了です。

 

まともに高校生活をしたのは高二の夏までです。高二の九月からいろいろと苦しい毎日を強いられてまして、無理だ!って遂に11月の後半には不登校マンになってました。12/31を以て私立女子校を辞める、スピード退学。ウケる

 

1月からは通信高校生でした。

周りは変なやつばっかで、正直仲良くしたいとも思わないし実際仲良くしてる人は1人しかいない。しかもその1人とも距離置いてしまったし

学校行っても、全日制から落ちこぼれてきた私からすればただの普通の高校の真似事にしか思えなくて、そこの環境に甘えるのはなんだか悔しくて、嫌いでした。

単位もとったし別にもう、いいかな。って

卒業式はめんどくさい、というか出る意味あるの?って感じだし、出なかった。

というか、意地でも出たくなかったね

普通をちゃんとできなかった自分がした些細な抵抗だ。

 

ごめんねお母さん、私は最後までしゃんとできなかったわ

親不孝者とは私のことだ

何とでもいってください。ごめんなさい。ごめんなさい。

 大学では上手くやっていきたいって、思うけど、こんな人間だからそれも難しいのかな。

 

人と一緒って難しい。

頭のネジが足りないのかもしれない 私は普通に生きてきたつもりだったの

こうなるなんて思ってもなかった。

まともな人生を歩んでいくつもりだったの、これでも協調性に自我を殺してきた人生だったの

報われたいって、甘えかな。

努力が、足りないのかも?

でも私は頑張ってるよ。

どうしよう。

 

琥珀級の輝きとは

あまり人には言えることじゃないけど
死を感じさせるものに魅力を感じる。

死ぬことって生物の一生で一番美しいものであると思っている。
その刹那を永遠に繋ぎ止めるのだから、剥製や薬品漬けなんかに魅力を感じてしまう。

死ぬのは怖いから生きるのも辛い。
僕はそういう人間だ。
だけど手首に涙を染み込ませることも、黄昏時に空中遊泳する勇気も、生憎持ち合わせていない
それが正常だ、と思うのは異常だ。

僕はあと60余年も生きる、生きてしまう

それは、なんというか、怖い。
一体いつまで、何年も先の見えない暗闇を歩かされるのかと愚痴を吐けるのか。
一体いつから、先を見据えてあと何年しかと嘆くようになるのか。

いつから、はっきり死と向き合えるのだろうか

まだ向き合えるとは到底思えない。
僕が死を感じるものに惹かれるのは、きっと、安心したいからなのだろうな
死と向かい合えない僕に、優越感を与えてくれる存在。だけど、死んでも美しいそれらが少しだけ羨ましかったりする。

僕も死ねるのだろうか。ただ
僕のその美しい刹那は、一生の刹那であってほしい気もする
きっと、時間が経てば濁ってしまうから。

 

 

愚痴愚痴

基本的にライブレポなるものが嫌い。書くのも、読むのも嫌いだ。
精一杯の妥協で、その音楽に関心のない人が書くもので、記憶漏れすることがない人が綴るものなら読む。うん、でも読まないかも

好きな人だとやっぱりフィルターかかってしまうから。記憶の美化が起こる。それが嫌だ。
多くのそれを眺めた事があるけど、大体良い所ばっか取り上げてるから、ずるいなぁって思っちゃう。
自分みたいなひねくれた奴は欠点がないと落ち着かない。完璧すぎると気持ちが悪くなる

そりゃあ商業で書いてる文章だったりすれば簡単にはそんなの書けないから、仕方ない事だしなら読まなきゃいい、まあその通りなんだけど。
なんか違うくない?と思う。むむむ


やっぱり自分の見たものが全てなんだと思うし、見たいと思う物が全てなんだと思う。

アーティストだって、原稿用紙2,3枚くらいで済まされるような時間を提供するはずがないんだ。

僕はライブのあの空間で観る景色に4000円以上の価値を感じてるし、これからも満たされるために何度も何度も足を運ぶことになるんだと思う。絶対に他人には簡単には教えたくない、感じたことは全部僕が独り占めする。

その権利がチケット1枚なんじゃないかなぁ

坂を降ろう


零時丁度に何を聴こうか。
誕生日に繰り返される、意味のない儀式

今までずっとBase Ball Bearだったけれど、
18になった僕は、その音楽を変えた。

そのときなんとなく、思春期の、青春の終わりを感じた
心にぽっかり余白が生まれた気分だった
悲しくはないけれど、寂しく思えた

...

思えば、僕の思う「青春」なんてものは全て17の時に片付いてしまった。

セイシュンってなんだ?

甘酸っぱく、ほろ苦い痛み。
目に焼きつけた景色は、脳裏に染み付く匂いは。

全て、すべてが、17だ。

 

一通りそれを経験した気になって、僕は今満足しているような、つまらなさを感じているような、はたまた、まだ納得がいかないような。


夜、天井を眺めながら未来に不安を抱えたり。
雑踏の中でふと振り返って寂しさを感じたり。

やはり僕の思う10代にはBase Ball Bearという存在は確実に必要だった。

 

多感な10代に降りかかる「青春」という暴力は悍ましいもので、立ち向かう術など何処にもなく。

「ひたすら耐え抜くしか道はないのか」

そんな時に僕の逃げ道となったのがこのバンドの音楽だった、それだけのこと。

 

「青春」の劣等感、虚無感、嫌悪感、そして幸福感。それらすべてが鮮やかな原色を放ち、僕という無色の人間に色を注していった。
混ざりすぎて汚くなってしまったけれど、彼らの「青」は上からそれらを全部塗り潰していった。
最強無敵の「青」
それがBase Ball Bearの色だったし、僕は唯一「青春」に勝つる色だと思った

 

だから学生時代にベボベの音楽を聴いていられた僕は、それはもう、幸せ者なのだろう
こんなことを言うのはおかしいのかもしれないが、少しずつ目の前の「青」が薄れてきた頃だから、何となく、感じてしまう。

 

傷ついて痛い、でも傷ついていたい。
生を感じる瞬間はいつも痛い時だった。
そんな傷に気付いてくれる人が欲しかった。


いないと思ってたけど、実は沢山いた。

だから17才の僕は、もしかしたら一番幸せだったのかもしれない。な。
好きな人(なんて呼んで良いのか分からない)も、親友(僕が勝手に思っているだけだと思う)も、学校では作れなかったたくさんの友達も、
今思えばみんなどこかで見ていてくれた。気付いてくれた。
そんな気がする。

そんな気がするだけで救われてたんだよ

 

人生が全体的に苦しかった。
今もちょっと苦しいんだけど、
1人が気楽だった今までと比べたら、今の僕はどれだけ人に囲まれているか。それがどれだけ幸福なことか。息がし易いか。


悲劇のヒロインになるのが好きなんだけど、誰も見てくれなければ誰も救ってはくれないのだ
僕はきっと、寂しかったんだ

屋上から下を眺めてた頃の僕はもういない。つい最近までのことだけど、今の僕はちょっと違う。少しは色々と前向きになれたのかな、
あとはもう少し、もう少しだけ。

 

僕の「青春」だけじゃなくて、人生のバイブルとなったのがもしかしたらBase Ball Bearだったのかもしれない。というか、そうなのだ。
もうすすんでライブいくとか、音楽を聴くとかはしないと思うけど、それでも10代の生き方を教えてくれたのは事実として一生残るから、忘れないように、もう少しがんばれるかな。

7月になったら、18の僕は、も一度、自転車で夏を越えよう。
迷いもきっと、置いていける気がする。

そんな気がする。