葛藤葛藤納豆

 

 

卒業といえば私は高校三年に当たるので3/1の卒業式を以て、高校生活は終了だ。

 

まともに高校生活をしたのは高2の夏まで。高2の9月からいろいろと苦しい毎日を強いられていて、無理だ!って遂に11月の後半には不登校マンになってました。12/31を以て私立女子校を辞める、スピード退学。ははは、ウケる

 

1月からは通信高校生。

周りは変なやつばっかで、正直仲良くしたいと思える人は少なかったし実際仲良くしてる人は1人しかいない。しかもその1人とも連絡はあんまりもう取れなくなった。かなしい

スクーリングで学校に行っても、全日制から落ちこぼれてきた私からすればただの普通の高校の真似事にしか思えなくて、そこの環境に甘えるのはなんだか悔しくて、嫌いでした。

3年の6月にはもう必要な単位もとったし別にもう、いいかな。って

卒業式はめんどくさい、というか出る意味あるの?って感じだし、出なかった。

というか、意地でも出たくなかった

普通をちゃんとできなかった自分がした些細な抵抗だった。

卒業アルバムが送られてきたけど、読まずに捨てた。読めなかった

 

 大学では上手くやっていきたいって、思うけど、こんな人間だからそれも難しいのかな。

 

人と一緒って難しい。

頭のネジが足りないのかもしれない 私は普通に生きてきたつもりだったけれど

こうなるなんて思ってもなかった。

正直、不登校とか馬鹿な同級生を見下してた

まともな人生を歩んでいくつもりだったの、これでも協調性に自我を殺してきた人生だったの

報われたいって思うのも甘えなのだろうか。

努力が、足りないのかもなぁ

 

でも私は頑張ってるつもりなのだ

 

これからうまくやっていける自信ないな。

頑張るしかないのだけれど。。?

 

17さい

誕生日、
零時丁度に何を聴こう?

今までずっとBase Ball Bearだったけれど、
18になった僕は、その音楽を変えた。

そのときなんとなく、思春期の、青春の終わりを感じた
心にぽっかり余白が生まれた気分だった
悲しくはないけれど、寂しく思えた

...

思えば、僕の思う「青春」なんてものは全て17の時に片付いてしまった。

青春、ってなんだろう。

甘酸っぱく、ほろ苦い痛み。
目に焼きつけた景色は、脳裏に染み付く匂いは。

全て、すべてが、17だ。

 

一通り経験した気になって、僕は今満足しているような、つまらなさを感じているような、はたまた、まだ納得がいかないような。


夜、天井を眺めながら未来に不安を抱えたり。
雑踏の中でふと振り返って寂しさを感じたり。

底無しの落とし穴に突き落とされる感覚。

やはり僕の10代にはBase Ball Bearという存在は必要だった。

 

多感な10代に降りかかる「青春」という暴力は悍ましい。一人で立ち向かう術は何処にもない。

ひたすら耐え抜くしか道はないのか、と頭を抱える。そんな時に僕の逃げ道となったのがこのバンドの音楽だった。

 

「青春」の劣等感、虚無感、嫌悪感、そして幸福感。それらすべてが鮮やかな原色を放ち、僕という無色の人間に色を注していった。
混ざりすぎて汚くなってしまったけれど、彼らの「青」は上からそれらを全部塗り潰していった。
最強無敵の「青」
それが僕に見えるBase Ball Bearの色だったし、僕は唯一「青春」に勝つる色だと思った

 
こんなことを言うのはおかしいのかもしれないが、少しずつ目の前の「青」が薄れてきた頃だから、何となく、感じてしまう。

良い音楽に出会えていたんだ、と。

 

傷ついて痛い、でも傷ついていたい。
生を感じる瞬間はいつも痛い時だった。
そんな傷に気付いてくれる人が欲しかった。

ひとりぼっちは、苦しい。

 

 

人生が全体的に苦しかった。
今もちょっと苦しいんだけど、
気付いてくれる人がいることがどんなに幸福か。息がし易いか。


悲劇のヒロインになるのが好きなんだけど、誰も見てくれなければ誰も救ってはくれないのだ
僕はきっと、寂しかったんだ

屋上から下を眺めてた頃の僕はもういない。つい最近までのことだけど、今の僕はちょっと違う。少しは色々と前向きになれたはずだ
あとはもう少し、もう少しだけ。

 

僕の「青春」だけじゃなくて、人生のバイブルとなったのがもしかしたらBase Ball Bearだったのかもしれない。というか、そうなのだ。
もうすすんでライブにいくとか、音楽を聴くとかはしないと思うけど、それでも10代の生き方を教えてくれたのは事実として一生残るから、忘れないように、もう少しがんばれるかな。

7月になったら、18の僕は、も一度、自転車で夏を越えよう。
迷いもきっと、置いていける気がする。

そんな気がした

自分が自分じゃなくなっていく感覚

でもそれは、無意識に完成された理想の自分から、どんどん素の自分へ戻っていくだけで


なにも変われない

 

そんな事を確信させるのには十分すぎるもので。

深く深く 落とされていく 底へ そこまで。

何を話せば

大切にされたとき、初めて私は大切にしてなかったことに気付く。

 

6月の水溜りに長靴を落としていったような

もともとそんなに必要なものではない。

 

果たして反射した空に本当に色はあるのだろうか

 

 私には何が実体なのかは分からなかった

目に見える世界が正しいと思う理由は何

 

もしかしたらとても長い夢の中なのかもしれない

水溜りの中の、もう一つの精巧な世界かもよ?

 

私は今 そうであればいいなぁ って思っている

こんな世界 生々しい程のリアリティ 呼吸

 

全部苦しいし

 

始まれば終わりがある

それで片付くはずなのに

それでも なお。

 

何を話せば良いのかも知ってるけど

なぜか知らぬまに こんな雨になったよ