いやに冷え込んだ9月の深夜

彼女の家のインターホンを鳴らす。

「遅いよ」と、眠たそうな目で彼女はこぼした

時計に目をやると時刻は2時半を示す

仕事終わりの体は酷く疲れ切り

まともに言葉を交わすこともなく

一目散にベッドに倒れこんだ

嫌なことがあったわけでもなく

良いことがあったわけでもなく

ただ日々を無為に繰り返すだけ

そんな毎日に疑問を抱いた

答えが見つかるのはいつになるのだろう

 

ラインではなくメールのやり取りをしていた時期

LINEの友達かも?の欄に懐かしい人を見た。

物心ついた頃から数えて一番最初に好きになった人、つまり初恋だった人がいた。

今はもうなんとも思っていなかったから記憶からほっておいた。

しかし最近「覚えてる?」とメッセージを寄越してくれた。

 

正直、嬉しかった。

あの頃の私は女子校にいたから、異性の知り合いがいるということだけでかなり優越感を感じたし新鮮味がある毎日を過ごせた。

何もなかったけれどあわよくば、何かの拍子にでも一緒にいられないかと思ったものだ。

当時、彼には可愛い彼女がいたのだが。

 

覚えてますよ!

といたって普通のメッセージを送った。

これからまたお話ができるのかな。とか、

ご飯食べに行きたいな。とか、

期待を胸に送信したのだ、

けれど、

ボタンを押した瞬間

すぅっと、私の中で何かが冷める音がした。

 

そして確信してしまった。

初恋は、初恋のままでいいのだ。

その時のほろ苦く報われない想いは

甘酸っぱく爽やかな思い出として生かしていける。

だから大事に胸にしまっておけば良い。

それが良いんだと。

 

その後の返信を読まずにトークルームを削除した。躊躇いがないわけではないけれど、悩む時間はそこまで必要としなかった。

そういう思い出があったなあって、懐かしめる。それだけで十分だった。

 

一緒にカラオケ行ったなぁ とか

買い物行ってごはんたべたなぁ とか

ゲーセンでヌイグルミ取ってくれたなぁ とか

たくさんメールやりとりしたなぁ とか

横顔が好きだったなぁ とか

 

十分すぎたんだ。

 

でも、やっぱり好きだったなぁ。

葛餅食べたいナ

 

 

卒業といえば私は高校三年に当たるので3/1の卒業式を以て、高校生活は終了だ。

 

まともに高校生活をしたのは高2の夏まで。高2の9月からいろいろと苦しい毎日を強いられていて、無理だ!って遂に11月の後半には不登校マンになってました。12/31を以て私立女子校を辞める、スピード退学。ははは、ウケる

 

1月からは通信高校生。

周りは変なやつばっかで、正直仲良くしたいと思える人は少なかったし実際仲良くしてる人は1人しかいない。しかもその1人とも連絡はあんまりもう取れなくなった。かなしい

スクーリングで学校に行っても、全日制から落ちこぼれてきた私からすればただの普通の高校の真似事にしか思えなくて、そこの環境に甘えるのはなんだか悔しくて、嫌いでした。

3年の6月にはもう必要な単位もとったし別にもう、いいかな。って

卒業式はめんどくさい、というか出る意味あるの?って感じだし、出なかった。

というか、意地でも出たくなかった

普通をちゃんとできなかった自分がした些細な抵抗だった。

卒業アルバムが送られてきたけど、読まずに捨てた。読めなかった

 

 大学では上手くやっていきたいって、思うけど、こんな人間だからそれも難しいのかな。

 

人と一緒って難しい。

頭のネジが足りないのかもしれない 私は普通に生きてきたつもりだったけれど

こうなるなんて思ってもなかった。

正直、不登校とか馬鹿な同級生を見下してた

まともな人生を歩んでいくつもりだったの、これでも協調性に自我を殺してきた人生だったの

報われたいって思うのも甘えなのだろうか。

努力が、足りないのかもなぁ

 

でも私は頑張ってるつもりなのだ

 

これからうまくやっていける自信ないな。

頑張るしかないのだけれど。。?

 

あまり人には言えることじゃないけど
死を感じさせるものに魅力を感じる。

死ぬことって生物の一生で一番美しいものであると思うから。
その刹那を永遠に繋ぎ止めるんだ剥製や薬品漬けなんかに魅力を感じないわけがない

 

死ぬのは怖い、だから生きるのも辛い
わたしってそういう人間だ。
だけど手首に涙を染み込ませることも、黄昏時に空中遊泳する勇気なんかは、生憎ながら持ち合わせてはいないんだよ。

それは当たり前のことなんだ。

 

でも、それが正常だと思うのは異常で。

 

僕は順調にいけばあと60余年は生きてしまうのだろう

 

怖いねぇ。


一体いつまで、何年も先の見えない暗闇を歩かされるのかと愚痴を吐けるのかな、
一体いつから、先を見据えてあと何年しかと嘆くようになるのかな。

 

いつから、はっきり死と向き合えるのだろう。

まだ向き合えるとは到底思えない。
わたしが死を感じるものに惹かれるのは、きっと、安心したいからだ
死と向かい合えないわたしに、「生」の優越感を与えてくれる存在。

だけど、正直、死んでも美しいそれらが少しだけ羨ましかったりする。

 

わたしもいつか死ぬんだ。けど、ただ、
わたしのそれは、一生の刹那であってほしい。
きっと、時間が経てば濁ってしまうから。

 

 

 

it's a seventeen

誕生日、
零時丁度に何を聴こう?

毎年の恒例となった儀式的行為。

 

今までずっとBase Ball Bearだったけれど、
18になった僕は、その音楽を変えた。

 

なんとなしに、いらないかな、と思った

そのときに思春期の、青春の終わりを感じた
心にぽっかり余白が生まれた気分だった


悲しくはないけれど、寂しく思えた

 

...

 

思えば、僕の思う「青春」なんてものは全て17の時に片付いてしまった。

 

青春、ってなんだろう。

甘酸っぱく、ほろ苦い痛み。
目に焼きつけた景色は、脳裏に染み付く匂いは。

 

全て、すべてが、17才だった。

 

一頻り経験した気になって、僕は今満足しているような、つまらなさを感じているような、

はたまた、まだ納得がいかないような。


夜、天井を眺めながら未来に不安を抱えたり。
雑踏の中でふと振り返って寂しさを感じたり。

底無しの落とし穴に突き落とされる感覚。

 

多感な10代に降りかかる「青春」という暴力は悍ましい。一人で立ち向かう術は何処にもない。

ひたすら耐え抜くしか道はないのか、と頭を抱える。そんな時に僕の逃げ道となったのがべーBase Ball Bearの音楽だった。

 

「青春」の劣等感、虚無感、嫌悪感、

そして幸福感。

それらすべてが鮮やかな原色を放ち、僕という無色の人間に色を注していった。


混ざりすぎて汚くなってしまったけれど、

彼らの「青」は上からそれらを全部塗り潰していったんだ。


最強無敵の「青」それが僕に見えるBase Ball Bearの色だったし、僕は唯一「青春」に勝つる色だと思った

 
こんなことを言うのはまだおかしいのかもしれないが、少しずつ目の前の「青」が薄れてきた頃だから、何となく、感じてしまう。

 

良い出会いをしたんだ、と。

 

 

傷ついて痛い、でも傷ついていたい。
生を感じる瞬間はいつも痛い時だった。
そんな傷に気付いてくれる人が欲しかった。

ひとりぼっちは、苦しい。

人生が全体的に苦しかった。
今もちょっと苦しいんだけど、
気付いてくれる人がいることがどんなに幸福か。息がし易いか。


悲劇のヒロインになるのが好きなんだけど、誰も見てくれなければ誰も救ってはくれないのだ
寂しかったんだ。多分それだけの事だった

 

屋上から下を眺めてた頃の僕はもういない。

つい最近までのことだけど、今の僕はちょっと違う。少しは色々と前向きになれたはずだ
あとはもう少し、もう少しだけ。

 

僕の「青春」だけじゃなくて、人生のバイブルとなったのがもしかしたらBase Ball Bearだったのかもしれない。というか、そうなのだ。

もうすすんでライブにいくとか、音楽を聴くとかはしないと思うけど、それでも10代の生き方を教えてくれたのは事実として一生残るから、忘れないように、もう少しがんばれるかな。

風が涼しい。

7月になったら、18の僕は、も一度、自転車で夏を越えよう。
迷いもきっと、置いていける気がする。

そんな気がした

帰化

自分が自分じゃなくなっていく感覚

でもそれは、無意識に完成された理想の自分から、どんどん素の自分へ戻っていくだけで


なにも変われない

 

そんな事を確信させるのには十分すぎるもので。

深く深く 落とされていく 底へ そこまで。