it's a seventeen

誕生日、
零時丁度に何を聴こう?

毎年の恒例となった儀式的行為。

 

今までずっとBase Ball Bearだったけれど、
18になった僕は、その音楽を変えた。

 

なんとなしに、いらないかな、と思った

そのときに思春期の、青春の終わりを感じた
心にぽっかり余白が生まれた気分だった


悲しくはないけれど、寂しく思えた

 

...

 

思えば、僕の思う「青春」なんてものは全て17の時に片付いてしまった。

 

青春、ってなんだろう。

甘酸っぱく、ほろ苦い痛み。
目に焼きつけた景色は、脳裏に染み付く匂いは。

 

全て、すべてが、17才だった。

 

一頻り経験した気になって、僕は今満足しているような、つまらなさを感じているような、

はたまた、まだ納得がいかないような。


夜、天井を眺めながら未来に不安を抱えたり。
雑踏の中でふと振り返って寂しさを感じたり。

底無しの落とし穴に突き落とされる感覚。

 

多感な10代に降りかかる「青春」という暴力は悍ましい。一人で立ち向かう術は何処にもない。

ひたすら耐え抜くしか道はないのか、と頭を抱える。そんな時に僕の逃げ道となったのがべーBase Ball Bearの音楽だった。

 

「青春」の劣等感、虚無感、嫌悪感、

そして幸福感。

それらすべてが鮮やかな原色を放ち、僕という無色の人間に色を注していった。


混ざりすぎて汚くなってしまったけれど、

彼らの「青」は上からそれらを全部塗り潰していったんだ。


最強無敵の「青」それが僕に見えるBase Ball Bearの色だったし、僕は唯一「青春」に勝つる色だと思った

 
こんなことを言うのはまだおかしいのかもしれないが、少しずつ目の前の「青」が薄れてきた頃だから、何となく、感じてしまう。

 

良い出会いをしたんだ、と。

 

 

傷ついて痛い、でも傷ついていたい。
生を感じる瞬間はいつも痛い時だった。
そんな傷に気付いてくれる人が欲しかった。

ひとりぼっちは、苦しい。

人生が全体的に苦しかった。
今もちょっと苦しいんだけど、
気付いてくれる人がいることがどんなに幸福か。息がし易いか。


悲劇のヒロインになるのが好きなんだけど、誰も見てくれなければ誰も救ってはくれないのだ
寂しかったんだ。多分それだけの事だった

 

屋上から下を眺めてた頃の僕はもういない。

つい最近までのことだけど、今の僕はちょっと違う。少しは色々と前向きになれたはずだ
あとはもう少し、もう少しだけ。

 

僕の「青春」だけじゃなくて、人生のバイブルとなったのがもしかしたらBase Ball Bearだったのかもしれない。というか、そうなのだ。

もうすすんでライブにいくとか、音楽を聴くとかはしないと思うけど、それでも10代の生き方を教えてくれたのは事実として一生残るから、忘れないように、もう少しがんばれるかな。

風が涼しい。

7月になったら、18の僕は、も一度、自転車で夏を越えよう。
迷いもきっと、置いていける気がする。

そんな気がした